songdelay

踊る!ディスコ室町のギター

最近モンゴル語をがんばって勉強している。自発的に語学を学ぶのはほぼ初めてなのでいろいろ思うところがあるんだけど、そのひとつに聴く能力の弱さがある。

たとえばレッスンで知らない単語が現れるとき、「ソンソフ」は聴くという意味ですよ、と口頭で教えてもらっても、その音韻的なイメージは聴いたそばからどんどん失われてしまう。光が入ってきても、うまく結像しないような感じ。

逆に「сонсох=聴く」みたいに文字情報が現れると、それはわりとイメージを保持しやすいというか、記憶に定着しやすい気がする。

モンゴル語を使う状況としては旅行中を想定しているので、リスニング・スピーキングを重点的に頑張ろうと思っていたんだけど、そんなんなので、どうもむずかしい。だから遠回りかもと思いつつ、書く・読むことから頑張ってみているところ。写経のようにテキストの例文を書き写しながら意味を取っていくと、やっと初歩的な表現がわかるようになってきた。

ところで、何年か前に通訳のモンゴル人学生にどうやって日本語を勉強したのか尋ねたとき、ふたりに聞いたうちのふたりが「日本のアニメやドラマを字幕なしで見ていたらわかるようになった」と言っていた。それが頭にあったので、自分も耳で聴いて覚えるぞ! とか思ったんだけど、全然無理。

語学が得意な人って「字幕なしで見る」に近いことを言っていることがある気がするんだけど、あれってどういう感覚なのかな。音韻イメージをうまく結像できるというか、聴覚情報をうまく処理できる感じなんだろうか。または、自分は意味に頼りすぎているような気もしている。

それはそれとして。今は勉強すればするほどわかることが多くなっていくのを実感できる段階だからか、勉強そのものがけっこう楽しい。これくらいの動機を持って勉強できれば、学生時代の語学の授業*1とかも有意義に過ごせたはずで、もったいないことだと思う。

*1:英語はまだしも、第二外国語とか本当にひどくて、ドイツ語入門の講義は結局単位が取れなかったし、楽勝科目といわれていたロシア語もギリギリの成績だった(ロシア語を勉強したことでモンゴル語キリル文字にもスムーズに入っていけたのはよかった)