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踊る!ディスコ室町のギター

村上春樹の文章

前のエントリーで、久しぶりに小説を読みたくなった、それで『バリ山行』を読んだと書いたけど、並行して読み進めていた『海辺のカフカ』がめちゃくちゃおもしろくて圧倒された。未読の本は家にたくさんあるけど小説は意外と買ってないな〜、などと思っていたら、ずっと前に誰かにもらった新潮文庫版があったのだ。10年寝かせていた甲斐があった。

村上春樹はときどき読んでは圧倒されて おもしろい!! と興奮するんだけど、3日くらい経つとあらすじの記憶がおぼろげになり、そのうち綺麗さっぱり忘れてしまうのが不思議だ。つまりストーリーやキャラやテーマに惹きつけられるんじゃなくて、文章を読むことそのものに純粋な気持ちよさがある。

読むことそのものを楽しいことだと脳が認識するからか、並行読みの何冊かに村上春樹が混じっていると、他の本まで読むのが楽しくなる気さえする。そのへんがとにかく凄まじいなと感心するので、ネットで文体が真似されていたり射精がどうこうとかバカにされていたりするのを見ると、おれは真剣に不愉快な気持ちになる。

なんかしばらくは小説を読みたいムードが続く気がするので、意外と読んでいなかった『ねじまき鳥』や『世界の終わりと〜』などを読もうと思う。読書という趣味はいかにこういう自分のムードを感じるか、ムードを逃さず読みまくるかが重要だと思っているのですぐに大垣書店に行って買ってきた。

余談だけど、ちょっと前まで古本屋の文庫コーナーに行けばだいたい村上春樹の既刊がざっと並んでいたのでそれを期待して古書店を2軒回ったのだけど、片方の店に『世界の終わりと〜』の上巻が2冊と『羊をめぐる冒険』の上巻があったばかりだった。みんな春樹のムードになっているのか? さらに余談だが大垣書店の文庫棚の『世界の終わりと〜』は下巻だけ置いてあった。


今週のお題「好きな小説」

バリ山行

モンゴルから帰国してウキウキで書店に行ってみると、並んでいる本に全然惹かれない自分に驚いた。それまでわりと興味があったはずのものが、どうでもよく感じられる。どれも焦点が近すぎるというか、自分の話しかしてないやんと思えてきた。自分はこう思いました、そうですか、っていう。もっと遠くの景色を見たい。

それで(それで?)久しぶりに小説でも読みたいなと思って、近しいところで話題だった芥川賞受賞作『バリ山行』を読んだ。「バリ」とはバリエーションルートのバリで、整備された登山道ではない順路で山を登ることである。そういう山行を好むおじさんがでてきて、なんかいい人なのだ。会社では浮いていて、週末には山で登山道から外れたところをウロウロしている。そういえば中小企業の社内のいざこざみたいな描写もやけにリアルで、新卒で入った会社を何度も思い出した。

人間の目は2メートル以上離れたものはぜんぶ無限遠としてピントが合うと聞く。だからスマホやPCを見つめるとき私たちの目は緊張状態にあるが、山とか海とか、そういう環境に入ると遠くのものばっかり見るようになってリラックスできるのである。なんとなく、山を扱う小説を読んでいるあいだも同じような気持ちになる気がする。

つまり山とか海とか草原のことを考えると視野が広く、大きな気持ちで過ごせるのだ、やっぱり山はいいな〜みたいなことを考えながらこの本を読んでいたのだけど、まさに読んでいるその最中に、登山を趣味にしている大学の先輩が難しいルートに挑戦して、その途中事故で死んでしまったという知らせが入ってきた。山や海や草原と死の距離は近い。悲しい気持ちでいる。

トナカイ

モンゴル北部、ロシアとの国境付近でトナカイを飼っている人たちがいるエリアに行ってきた。

集落で飼われているトナカイたちは適当な時間になったら勝手に山にエサを食べに行って、また勝手に戻ってくるらしい。だから村の人たちはトナが戻ってきているときに乳をしぼるくらいで、あとはそんなにやることもなさそうに見える。村のおじさんたちは昼間からゴロゴロしていて、観光客と村の子どもが一緒にバレーボールをするのをぼんやり眺めていた。

ウマやヒツジ、ヤギを飼っている遊牧民は朝っぱらから放牧やら乳搾りやら乳製品づくりやらで忙しくしているので、それを考えると驚異的なゴロゴロ具合だ。もちろん冬はマイナス60度になったりして厳しい環境だろうが、住み続ける理由があるのもそれなりによくわかった気がする。

村はのんびりしていてよかったが、そこにたどり着くまではとにかく大変だった。空港からオフロードを10時間くらい車で走って、そこから馬に乗り換えてさらに6時間。馬で進むのは山の中を抜けていくルートで、山肌から霧がゆっくり降りてきて視界が悪くなるとなかなか恐怖感があった。

疲れ果てているときに白いモヤの中からいきなりトナカイが現れたのはファンタジーのようだった。もう東京-京都間をハイエースで往復したくらいで泣き言を言うのはやめようと思った。

両替

ウランバートル市内での両替ミッション。両替屋が集まっているエリアがあってそこだと空港よりもレートがいいと聞いて向かってみると、空港どころかグーグル検索で表示される理論値よりもいいレートで両替できた。特に手数料も掛からなかったがどういう仕組みなんだこれ。エアポートタクシーで往路1時間、帰路2時間のプチ遠征だったが、わりと大金を両替したので行く価値があった。

両替屋のおやじは札束を雑に置いたまま追加の現金を取りに行ったりしていて大変オオラカであった。その間にやってきたオッサンはモンゴルトゥグルクを日本円に替えたいようで計算に戸惑っていた。電卓を叩いてあげたらうれしそうだったが、うれしい顔をしただけで両替はせずに帰って行った。

まとまったお金を持っているところを見られたのでかなり緊張した。両替エリアを出たあとも後ろをつけられていないか確認したりしていたが、本当にただうれしそうな顔をして帰っただけだったらしい。なんだったのか。

空港泊日記

モンゴルに行くためのフライトは日本国内からだとLCCを使う選択肢がないものの、韓国からはいろいろ飛んでいる。それで今回調べた中では、プサンからの深夜便がいちばん安かったのでそれを利用した。プサンはこれの乗り換えのついでに旅行していたのであった。

飛行機の深夜便というのは、まあほとんど夜行バスみたいなもんである。フライト中は照明が落とされているし、席でぐったりしているうちに到着してしまう。在韓モンゴルファミリーの利用率が高かったのか赤ちゃんが3人くらい泣いていたが、みんなモンゴル的空気感であやしたりニコニコしていたりしてあまり気にならなかった。

それで到着したのが深夜の1時頃。最近建設された新チンギスハーン国際空港は空港泊におあつらえ向きのソファーがいくつかあって、同じように深夜便で到着した人たちが夜を明かしていた。わたしもそれにならって寝袋を広げる。モンゴルに来るときはだいたい寝袋とマットを持っているので空港泊でもなんでもどんと来いや、である。

わりと朝のフライトも多いらしく5時ごろからあたりがうるさくなってきて起床。カバンをストレージサービスに預けて、タクシーを探していそうな日本人を発見したので同乗してウランバートルに来たのが今である。今日は夜に仲間が到着するまでに両替やSIMカードを入手するのがミッションで、まあ空港でもできるんだが暇なので市内まで出てきたのだ。

使ってみようと思っていたシャトルバスは空港→市内は使えるものの市内→空港は乗れないらしく(なぜ?)、適当なホテルからのピックアップを依頼した。空港から市内への移動が不便すぎるのと言葉が通じにくいのが難点なのだが、とにかく対応は柔軟である。柔軟な対応だけでどこまでもやっていくのがモンゴル的な空気感で、不便だがそれはそれで気持ちいい感じもするのが不思議。

プサン日記

モンゴルへのトランジットのついでに釜山(プサン)に2泊した。数年前から韓国ドラマにハマって韓国語を猛勉強している母を誘って2人での行動である。

人気の観光スポットに立ち寄ることもなく、しかも宿も東横インだったので特になにか起こったわけではないが、母とふたりで3日も旅行するというのは初めてのことで新鮮だった。そういう状況だと、話題も韓国の話ではなくて家族の近況とか、30年前に母と叔母で釜山→ソウルを旅行した思い出話とかが中心になる。

ちょっと驚いた話題としては、祖父(母の父)が会社を定年退職したあと、日韓海峡の海上を警備する船に通訳として乗船しており、たびたび釜山を訪れていたというものだった。ぼんやり聞いたことがあるような気もするが、自分が生まれたころの話なのでよくわかっていなかった。

母はお店の人や通行人にガンガン話しかけていて、バスの乗り方を聞くために話しかけたアジュマ(おばさん)が親切にもわれわれが行くべきバス停までわざわざ案内してくれたことに感動していた。「私も大阪で困ってる外国人がおったら、ちゃんと助けるわ!」。なんかまあ楽しんでいたようでよかったのであった。