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踊る!ディスコ室町のギター

ユーモアはサービス(親切人間論)

水野しずの新刊『親切人間論』*1を読んでこれが大変におもしろかったんだけど、各文にギャグ・ユーモアが細かく配置されまくっていて、だんだん単純におもしろがるというよりは、そのサービス精神におそれを感じながら読んでしまうほどだった。

たとえば以下のようなユーモアが、だいたい1ページに3箇所くらいはある。

全体の方向性も考えないままにとりあえずダイエットから始めるというのは、作る料理も決めていないのにとりあえず鍋に味噌を放り込むくらい闇雲な行為(名古屋だったら普通)に感じます。
水野しず『親切人間論』P35より

とんでもないサービス精神やわ、と思って読み終わったら、あとがきにはまさにそのことが書いてあって「細かい報酬を与えてくれるというサービスをスマホがやっているのですから、こちらもやらない手はありません」と言っている。

なるほど細かい報酬。ショート動画を見はじめると無限にスワイプしてしまうように。あるいは、村上春樹のおもしろい小説をグイグイ読んでしまうのも、細かい報酬の繰り返しになっているからだ(時々おもしろくない小説もある気がしていたけど、それは報酬の配置が少なめになっている作品なのかもしれない)。

『親切人間論』に詰め込まれたユーモア、めちゃくちゃ意図的なサービスだったのか……と思ったんだけど、テキストなんだからそれは当然で、テキストとは意図の集合体である。意図しか現れないのがテキストのいいところで、著者のサービス精神はそのまま文章に表出する。ありがとう水野しず。

そういえば、わたしがWebメディアで書き始めた頃に読んだ『いますぐ書け、の文章法』(堀井憲一郎*2でもそういうことを言っていた。「文章を書くことは、サービスである」「読む人のことを考え、ゆきとどいたサービスを届けないといけない」。そうですね。

自分もある程度サービス精神を発揮しているつもりではあるけど、最近ではネットの海のなかで、なんとか読者に完走(完読)してもらいたい、そのためにはもう少しユーモアを足して……とか考えていた。それはそうなんだけど、そもそも文章はサービスであるから、サービスを足すのは当然だった。すみません。

うすうす気づいているんだけど普段の人間関係でもそうで、サービスこそが愛である。それってエーリッヒ・フロムが言っていることだ(たぶん)。最近みた「明日のアー」の新喜劇*3でもそういうことを感じた。サービスをがんばろう!




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