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踊る!ディスコ室町のギター

言語化ってなんだ

言語化」っていう言葉を、ここ最近めっちゃ見るようになった。あまりによく見るので考えるようになったんだけど、この「言語化」という言葉自体、けっこう取り扱いが難しいような気がする。

たとえば誰かの発言や表現に対して「言語化がうまい」「自分が思っていたことが言語化された」って言うと、それだけでその瞬間に自分も同じ土俵に立てるというか、(言ってないだけで)自分も同じことを考えていました、みたいな錯覚に陥りやすい。でもそれは思考の泥棒で、実際は他人の表現にタダ乗りしているだけだったりする。そういう危険性をはらんだ言葉だ。

わたしも大学生のころ、講義の感想を提出するときに「思っていたことが言語化されました」みたいなことを書いことがある。けど今よく考えると、新しい知識に触れて興奮したものの、「思っていたことが言語化された」わけではなかった。自分の考えを組み立てるための道具として、新しい言葉や思想を獲得できることはあっても、自分の「思っていたこと」を100%表現してくれるようなことは滅多にない。ないとはいわないけど、あんまりないと思う。

もうひとつ。これはちょっとメタ的な話かもしれないけど、「言語化」という言葉が使われる場面って、多くの場合は「言語化」とは別の言葉のほうがしっくりくることも多い気がする。

たとえば新年の目標とかで「思ってることを言語化できるようになりたい」みたいな話をよく目にするけど、それって「思っていることを表現できるようになる」に言い換えたほうが腑に落ちる場合もありませんか。思ってることをブログで発表したいんです、という話だったら、「思っていることをブログで発表できるようになる」だし、他にも「記録する」「指摘する」「描写する」とかに置き換えられる「言語化」ってけっこうあると思う。言語化って難しいですね(メタ)。

いや、なんか嫌味を言ってるみたいになってますが! でもわたし自身は言語化というか、自分の考えを書くことはけっこう好きで、いいものだと思う。

考えていることって、頭のなかにあるうちは意外とどんなものなのか全然よくわからない。でも言葉にしてみることで、なんとなく輪郭がわかってきたりして、それって楽しくて気持ちいいことですよね。

自分の考えを文章にしてみるときって、そこらじゅうにふわふわ浮いているメモ用紙みたいなものを、ダーツでひとつひとつ射止めていくようなイメージがある。浮いているあいだ、メモにどんなことが書いてあるかはよく見えなくて、矢が壁に突き刺さってはじめて、これはいいこと書いてるなとか、こんなんじゃダメだろとか思ったりできる。あと将棋。ダーツで射止めた言葉を取捨選択するのは、将棋の指し手を選ぶのに似てる。なんとなく掴んだ言葉だけをつなげるとどんどんダメになるから、悪手を指さないように、できるだけ読みを入れて、第一感以外の候補も検討する必要がある。文章も将棋も大局観が大事。

やっぱり言葉ってめちゃくちゃパワーがあって、なにか思ってることを言葉にした瞬間、それがいいとか悪いとかに関係なく、まるで決定事項みたいな顔をして世界に現れてしまう。それが良さでもあるんだけど、難しさでもあるから、真摯に扱わないといけない。自分のためにも読む人のためにも、できるだけマシな言葉を選ばないといけないということです。

だから言語化っていう言葉自体も難しいけど、言語化っていう行為そのものも、けっこう大変なことだと思う。けど、いろんな人がそうしたいと思っているなら、それはめちゃくちゃ頑張ってほしい。このエントリ着地点は見失いかけていますが、そんなことを思いました。わたしもがんばりますので、みんなもがんばろう。

……と書いてみたけど、みんなが書いている「言語化」って、文章を書くっていうことなのかな。よくわからないので事例研究が必要そうですね。