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踊る!ディスコ室町のギター

無題 1/28

家賃

いま住んでいる借家では、管理会社とかを通さないで、ダイレクトに大家さんの口座へ家賃を振り込んでいる。月末なので、今日も振り込んだ。

毎月末にまとまったお金を入金(といってもネットバンキングですが)していると、その度、住むことにお金を使っているんだなーという実感がある。

これはなんというか自動引き落としではなかなか感じづらいというか、お金を払っていること自体は変わらないんだけど、そのときに感じる「当然さ」のようなものはずいぶん違う気がする。引き落としでも口座残高を確認するたびに感じることかもしれないけど、当たり前に払う金額という感覚が強い。振り込みだと、その感覚をより能動的に感じられる。直接手渡しすればもっと強く感じるだろう(しないけど)。

「もっと安くていい感じの家は無いのか」「本当にその家賃に見合うような物件なのか」みたいなことを毎回立ち止まって考えられるような、そんな気がして良いと思っている。
まあなかなかいい条件で借りられていると思っているし。

服部文祥『息子と狩猟に』『サバイバル家族』

たまたま古本屋で手にとった『息子と狩猟に』がめっちゃ面白かった。
www.shinchosha.co.jp

岳物語』みたいなエッセイかと思ったら小説だったので驚いたけど、フィクションの体でありながら、そこには自身の経験や言葉が閉じ込められているようで、リアリティと説得力を受け取った。

それは、生きるとは殺して食うことーー命には生と死が同居するという逃れようのない現実である。目の前で倒れた獲物は、殺生への戸惑いも、命への感謝も受け付けず、「殺した側にもいつか死ぬ番がくるのだ」という覚悟を静かに突きつけてくる。
服部文祥『息子と狩猟に』新潮文庫 P19)

「でも、人を殺したらのろわれるでしょ」
笑った。
「なんで鹿は呪わないんだ?」
服部文祥『息子と狩猟に』新潮文庫 P73)


こういう感覚、特に死生観は「狩猟をしていなければ自分も理解することなどできなかった」という*1。実際そうなのだろう。

今年は狩猟免許ぜったい取ろうと決意した。
ニンゲンが死生観を理解するために殺される鹿を思うと忍びないとも思うけど、死生観を考えないまま食べられている牛や豚、鶏に対してはもっと忍びない。


『サバイバル家族』はエッセイ。全面的には肯定できない部分もあるけど、理解できる(または理解したいと感じる)話が多かった。下水処理のエネルギーが無駄だからウンコは庭でするとか、まあ可能な環境があれば試してみてもいいかなと思う。やっぱり広い庭のある家が必要。ウンコはいいとして、ニワトリ飼ったりしたいし。

「おれと暮らしたほうが絶対おもしろいから」といって決まりかけていた結婚を止めたというプロポーズの話もすごい(いつか言いたいと思ってしまった)。

サバイバル家族|単行本|中央公論新社


映画『偶然と想像』

ずっと見たかったけどタイミングが合わず、やっと見れた。
結論からいうとめちゃくちゃ良くて、配信とかを待たずに映画館で見れてよかった。

guzen-sozo.incline.life

これまで、「日本映画は会話・セリフで何でも説明しすぎ」みたいな言説に無邪気に同意していたのだけど、なんや会話劇でぜんぜんOKやん、と素直に思った。
セリフの言い回しや言い方は決してリアル(現実にありそうなもの)とは言い難いのだけど、そこに別のリアリティというか、説得力が宿っているというか。

どの話でも、登場人物みんな(佐々木くん以外)に感情移入してしまい、ハラハラしっぱなしだったので疲れた。

『ドライブ・マイ・カー』でもそうだったけど、見たあとに語りたくなる感じがある。それがどこから来るのかはわからないけど、頭のなかにある何らかの回路を刺激される。


・・・・・・・・・・


こうして最近思っていることを書き出してみると、たいがい「実感」「能動性」とか、当たり前のことを疑ってみるとかそういうことを気にしているとわかる。

ただ、書いてみないと気づかない。

*1:これは小説に出てくる言葉ですが、他の著作・インタビュー等も読んでみると、服部氏本人の言葉として受け取ることも十分可能です