songdelay

踊る!ディスコ室町のギター

なにで食ってるかわからない人

音沙汰とアジアの星くずたち、というユニットのライブを千本北大路で見た。

かなり小さい会場で開演ギリギリに行ったけど、意外と最前列の席が空いている。空いたままにしてたら寂しい感じがしそうだったので座った。そしたら演者との距離がメチャ近く、客としてはかなりのレベルで緊張した。

自分がライブをするときにも、たまーーにお客さんが近すぎてどこを見たらいいのかわからないことがあるけど、お客としても近すぎると、どこに視線をやったらいいのかわからなくなるもんですね。


それで、客として緊張するってどういうことだろう、と思って考えてみると、それはある意味で自分がそのライブに影響を与えるからだ。客がつまらなそうにしていたら演者は不安になるし、逆に客がノリノリだと演者は安心して演奏できる。

つまりライブというのは少なからず演奏者と客のあいだで相互作用があるもので、お金払って見てんだぞと受け手に回るのはもったいない。いいライブを見ようと思ったら、お客としてもいい振る舞いをする必要がある……といったら言い過ぎかもしれないけど、とにかく演者をノセたほうがいいライブを見られる、いい空間を作ることに貢献できることは間違いない。過剰に盛り上げる必要はないけど、いいライブを見たほうがお得だとは思う。

もちろん、そんな空気を自然に作り出すのがスターであり、場を支配するのはプレイヤーの腕の見せ所ではある。けど、1万人入っているコンサートでも1万分の1の、100人しか入らないライブハウスでは100分の1の空気を作っていることは確かなのだ。

最近フジロックの配信が盛り上がっていたときにも思ったけど、配信だとその責任がなくて、つまらないと思う。せっかくライブ見るなら、影響を与えたいし与えられたいでしょう。



こんな理屈っぽいことは帰りのバスで考えていたことで、ライブはスカッとした演奏でめっちゃ元気でた。アンコールでSMAPの『俺たちに明日はある』をカバーしていて最高、真夏さんが「みんなも友達とカバーするといいよ」って言ってたのをちょっと本気にしている。

終演後にお客で来ていた人たちと話していると、今週アフリカから帰ってきたという人がいた。9ヶ月もアフリカにいたらしく、日本って、京都って最高!とずっと言っていてなんかよかった。

京都にいると、お仕事何してるんですかと聞かれたときに「適当にやってます」みたいな回答でも許されますよね、何で食ってるかわからない人いますよね、という話になって、非常に納得した。自分も最近は編集・ライターのアルバイト(在宅)とWebライターとバンドマンと、みたいな感じなので、お仕事何してるんですかと言われたら毎回どう答えるか迷っていた。これからは「適当にやってます」と言おう。


学生の頃は先輩バンドマンたちを見て、この人たちは何で食ってるんだろうと思っていた。今はたぶん、自分がそう思われている。

バンドを10年やること

9月に10周年記念ワンマンをやります。来てくれー


10年もバンドをやっているって、それはもうとんでもないことですよ。10年ですからね。ひとつのディケイドをひとまたぎにしています。赤ん坊は少年になり、少年は大人になり、大学生はおじさんになっていきました。かつては私も18歳でしたが、来月で28歳になります。


バンドが活動を開始したのは2012年ですが、中途加入のわたしがバンドにコンタクトを取ったのは2013年の年末のことでした。当時は初期のメンバーが脱退しまくった直後で、わたしは大学1年生(19歳!)。毎週、当時住んでいた京田辺市から二条のリハーサルスタジオに通って練習しまして、翌2014年の6月に初めてライブに出演しました。まだ三条河原町にあったVOXhallでのライブで、同じく出演していたGEZANのライブに圧倒されて「ライブハウスって怖いなー」とか思っていました。フジロッ久(仮)というバンドの方が、ステージ上部から飛び降りて足を骨折していたのも怖かった。2014年ってそういう感じでした。思い出深いライブです。そういえば、いま各所で名乗っている「まこまこまこっちゃん」という名前も、このライブの直前に命名してもらったはずです。当時は学校とかアルバイト先とか、各所でいちいちイジられましたが、最近は困惑されつつも受け入れられるようになってきたような気がします。自分がイジられ慣れただけかな。


その後なんやかんや各地でライブをしまくり、免許を取って高速道路を運転しまくり、フジロックに出演したり大学をギリギリセーフの単位数で卒業したり、会社を2つ辞めたりライターの仕事を始めたりしつつ、バンドは結成10年を迎えます。自分が参加している期間だけでも8年以上になりますから、我ながら長くやってるなーと思います。会社は1社目が8ヶ月、2社目は3年半で辞めましたが、もしどっちかの会社で8年やっていれば、ちょっとした役職くらい付いているくらいの年数です(不真面目な社員だったのでそうでもないかも)。


2010年代の真ん中くらいに一緒にライブをしていたバンドは、多くは解散したり、活動を休止したりしているように思います。会社に勤めていたり、家族ができたりするといろいろありますし、人生には様々な事情があって、仕方のないことです。仕方のない事情がなかったとしても、バンドというのはいろんな問題が発生したりする活動なので、続けていくのは大変です。



しかし、我々はしぶとく立っています。くどいようですがバンド活動は大変なので、私だって「続けるのムリかも!」と思ったことも1度や2度ではありませんが、それでもやっています。バンドメンバーも相当入れ替わりましたが、やっています。


なんでかというと、それはバンドがなんやかんや面白いからで、興奮があるからで、なんか誰かとわかりあえるような気がするからです。その誰かはメンバーなのかもしれないし、共演者なのかもしれないし、お客さんなのかもしれません。このへんは上手く言葉に変換することができません(それではライター失格なのかもしれませんが)。


高校生のころ、京都の大学に進学を決めた理由は「京都に行けば、なんか面白いバンドができそう」と思ったからでした。そして当時の直感は、けっこう当たっているように思います。つまらないバンドだったら8年も続けていません。もちろん、うんざりするようなことも無いことはないですが、それ以上に面白いことが上回っているので、ここまで続けてこられました。


というわけで、その集大成として9月にワンマンライブを開催します。場所は、京都の磔磔(たくたく)というライブハウスです。ここで、くるりのライブを見たり、中村佳穂に声援を送ったり、サークルの定期演奏会をしたり、ライブに出演したりしてきました。最近では柴田聡子 in FIREも見ましたね。いつ行っても最高のバンドが出ている、世界的にもユニークで、素敵なステージがあるところです。そういえば「京都に行けば、なんか面白いバンドができそう」と思ったのは、NHKのドキュメンタリーかなにかで磔磔の映像を見たのがきっかけだったかもしれません。一緒に見ていた父が「学生時代に出演した」と言っていて、おれだって出れるわい、と思ったような記憶があります。憧れの場所ということです。


ライブは、多くの人に見に来てほしいと思っています。なんでもオンラインで見られる時代に、わざわざ足を運ぶ価値のある、そう感じてもらえるような演奏をする自信が、少なくとも私たちにはあるからです。音楽は空気の振動ですが、その振動を生の演奏で起こすと、何かが伝わります。何が伝わるかは当日にならないとわかりませんが、とにかく何かが伝わるはずです。何かが伝わってきたから、10年も続く活動になっています。




見に行くぜ!と思ってくれた方は、電話、メール、SNSなど、なんでもいいのでご連絡いただけますでしょうか。磔磔のメール予約もあります。関西圏の方はもちろん、遠方からの参加も歓迎です。翌日は日曜日ですので、ついでに京都で遊んで帰ることもできそうです。どうしても駄目なら、有料ですが配信もあります。でも現場で見てもらうのが絶対に一番おもしろいので、可能なら京都まで足を運んでください。


ライブがあるとき、どうやって告知するのがいいか、どんだけバンドやってても謎なのですが、思っていることをインターネット経由で伝える手段としては、文章がいちばん得意かなと思ったのでこうしたテキストをしたためた次第です。長くなりましたが読んでくれましたかね。


そういうわけで9月10日(土)、京都でお待ちしております。いいライブをします!

高速道路で東京に行った日報

6月26日(日)

  • 5:30 起床
  • 6:30 バンドメンバーのみなさまを各地で拾って京都南インターからGO。道路は空いてて快適。
  • 9:00 浜松のSAで変わったコーラを飲む会が開かれる。自分は「お茶コーラ」を買ってみたけど、お茶の味だったかよくわからない。カレーパンサイダーはマズかったらしい。
  • 10:00 運転はおわちゃんに交代。掛川静岡県)のあたりで豪雨にあう。視界が悪くて怖い。
  • 11:00 車内はクイズ大会(アタック25過去問)で熱狂の渦。
  • 13:00 渋谷着。渋谷で駐車場探すのが毎回面倒くさすぎるので、マシな金額のパーキングをGoogle mapに登録。
  • 14:00 リハーサルまで時間があるので、西武渋谷で開かれていた藤原麻里菜さんの展示を見にいく。現地でデイリーポータルZ担当編集の石川さんと落ち合った。特にDPZで書きはじめてからはWebで知り合った人がたくさんいるけど、実際にお会いできたのは初めてだったので嬉しい。小学生のお子さんが脈絡なくジャンケンを仕掛けてくるのがおもしろかった。勝敗つくのがおもしろいのかな
  • 15:50 リハーサル。LUSHは音がいいー。
  • 16:30 車に戻って少し寝る。昼間の渋谷、仮眠できるスペースないんかな
  • 17:30 開場
  • 18:00 開演。1バンド目のyangdoeを聴きつつ準備
  • 18:50 出番。
  • 19:30 出番おわり。見に来てくれていた、メディアアーティストの佐々木遊太さんと話す。遊太さんともインターネットで知り合った。Clubhouse やTwitterスペースでよく話していたので、実際にお会いできて嬉しい。ライブもメチャ褒めてくれたのでよかったです!
  • 19:50 DinoJr. の演奏がかっこよすぎ
  • 20:30 TAMTAM の演奏がかっこよすぎ
  • 21:20 ドンマルティネスの演奏がおもしろすぎ。どのバンドもめちゃくちゃ良くて、サークルの定期演奏会みたいな気持ちになった。もちろん演奏がサークルレベルというわけではなくて、純粋にお互いの音楽を楽しめたような感じがめっちゃしたんです。サークルの定期演奏会ほど楽しいもんはないですからね。運転があったので叶わなかったけど、お酒飲みたいなーと思ったライブは久しぶりな気がする。
  • 23:30 名残惜しいが撤収
  • 25:30 足柄SAで夜食。併設のお風呂施設に行くという話だったが、なぜかみんな車で寝るらしいので自分だけ風呂へ。マッサージチェアに200円払う。
  • 26:30 仮眠を切り上げて出発。おわちゃんとドライバーチェンジ。ちょっと目をつぶったつもりが、意識を失っていた。
  • 28:30 浜松のSAから再びハンドルを握る。うっすら見えていた朝焼けが、ちょっと見ているあいだにどんどん広がっていって朝になった。ミキさんとシン・ウルトラマンの感想を交換する。
  • 29:30 鈴鹿SAで朝食(おにぎり)
  • 32:00 みんなを送り届けてレンタカーを返却。今回も無事故無違反で帰ってこられてホッとした。
  • 33:00 自宅着。洗濯機まわす。おやすみなさい!



高速道路で東京に行きます


今週末は東京でライブがある! 前回ディスコ室町で東京に行ったのは2020年2月で、東京の人はみんなマスクしとるな〜〜とか、そういう会話をしていたときだ。

songdelay.hatenablog.com


それで今回も例によってレンタカーを借りて移動するわけですが、なんか年齢を重ねるごとに高速道路で移動することに対して緊張感が増してきたような気がする。

バイクに乗るときは常に(何かミスったら死ぬ)と思うわけだけど、クルマだって同じやん、と気づいてしまったからだ。考えてみれば当然なんだけど、やっぱり自分が事故することってなかなか想像しないから、そういう意識をもつことができなかった。子供のころ、親の車が事故するなんて1ミリも考えていなかった。それの延長。

そもそも車を使うということは、交通事故によって年間に数千人が死ぬ社会に参加するということでもある。ハンドルを握っている人にアクシデントがあれば、同乗者もろとも時速100キロで何かに衝突する社会。

実際にバンドマンの車が東名高速でカーブを曲がりきれずにひっくり返ったとか、そういうエピソードも知り合いレベルで聞いたことがあるし、同じことが起こらない保証はない。ハイエースから飛び出したフェンダーギターアンプが道路の真ん中にまっすぐ立ったらしい(その人たちは幸運なことに死んでない。シートベルト大事)。

正直、自分も「いま危なかったな」と思ったことが(バンドの移動に限らず)何度かあるし、自分が運転していないときは(特に後部座席で寝てるときは完全に!)ドライバーに命を委ねることになる。それに運転手が慎重で経験豊富でも、周りがそうとは限らない。深夜や明け方の高速には、なんかフラフラしてるな〜〜と不安になる車もたくさん走っている。追い抜くときは緊張する。


それでも色んなところでライブがしたいので、バンドは車でどっかに行く。それが安上がりだから。ギャラがたくさんもらえるなら新幹線で移動したいけど、最近は大きい荷物の持ち込みが厳しいとかそういう事情もあるっぽい(ほとんど乗らないのでわからない)。


なんかシリアスになってしまった! しかし油断しないに越したことはないので、今回も速度・後方確認・こまめな休憩・シートベルト徹底など、注意しながら向かいたいと思います。


というわけなので、遠くからきたバンドを見たときは交通安全を祈っていただけると大変助かります。よろしくお願いします!

時速100キロで移動しながら過ごす

きのう東京でライブをして、例によって夜走りを経て朝方に京都に戻ってきたので、脳と体がぼやぼやしたまま一日を過ごした。

バンドマンは遠くの街に出かけてはすぐに帰ってくる生き物であるけど、今回もすぐに帰る度が高い旅だった。集合して東京まで行き、ライブをして帰ってくるまできっかり24時間。そのうち半分以上を高速道路上を時速100キロで移動しながら過ごす。そうすると脳の機能が低下します。京都南インターを降りてローソンに入ったとき、入り口近くのレッドブルをそのまま手にとって飲みそうになった。

いつもはレンタカーを返したらそのまま寝てしまうんだけど、今日は休暇を活かして眼科(コンタクト作り直し)と友達の個展に行くという偉業を達成。しかし、さすがにそれで体力が切れて、昼過ぎに帰ってきてご飯を食べたら気を失うように寝てしまい、気づいたらこの時間。今からもう一度寝る。

レコーディング

サバイバル登山家・服部文祥のインタビューに「登山には審判や観客がいないため、自分で記録することが行為に含まれます」という言葉がある*1が、これは人生に関しても同じことがいえる。自分で記録することが行為に含まれている。

ちなみに、はてなブログのコピーには「書き残そう、あなたの人生の物語」とあって、それでやっぱりブログやわと思って記事を書いたりしているわけだけど、なにかを記録するために使えるのは文章だけではない。たとえば、音楽も人生を記録できる媒体のひとつだ。

実は(?)わたしはミュージシャンなので、ときどき録音作品を制作する。バンドで専門のスタジオに籠って楽器を鳴らしたり歌ったりして、ライブで演奏している(していないこともある)曲を、誰もが繰り返し聴ける状態にする。その行為が一般的に「レコーディング」と呼ばれていることからも、なんらかの記録であることは間違いない。


この週末は久しぶりにバンドでレコーディングスタジオを借りて、新曲のレコーディングを行った。
わたしがバンドに加入したのは2014年、19歳(!)のときなので、かれこれ8年はやっていることになる。その間に何度も新曲の録音を経験したのだけど、例外なく毎回大変な作業だ。

なにせ、いろんな楽器を別々に何テイクも録音しては聴き直すことを何時間もぶっ通しで続けるので、演奏している本人も、別室で聴いてジャッジを下すメンバーも、レコーディングエンジニアのコイズさん(いつもありがとうございます)も、もれなく疲れていく。

そんなことで今回も大変だったのだけど、やっぱり何年もやっているだけあって、さすがに演奏能力の向上を感じた。OKテイクを出せるまでにかかる時間が少なくなったし、編集上のマジックもほとんど使わなくなった(ゼロとはいわない)。加工が少ない、素直な演奏が録音できた。同じメンバーで複数回目の音源制作を迎えたのも、たぶん初めてのことだ(メンバーチェンジを繰り返していた時期があったので)。


最近はコロナ禍で思うように活動できていないとはいえ、バンドのいい雰囲気が保存されたいい音源になりそうである。
いろんな事件があったのでブログに書いてやろうとも考えたけど、それは音源を聴けばわかるのではないかと思うのでやめる。


ちなみに、ライブも決まってるのがある。

音源としてバンドの状態を記録するために散々作業を重ねたので、いい演奏ができる予定。
目撃しにきてください!

年末ライブ6連発の記録

年末は24日から29日まで、6日連続でライブがあった。
終わってみるとあっという間だったけども、記録していないと全部忘れてしまいそうな気がして、書き残しておくことにする。


24日 心斎橋ANIMA(ネギクル)

いよいよ6連戦がスタートすることに緊張しつつ、アルバイトを早抜けして京阪に乗る。

ライブでは、数日前から家出をしてウチに居候していた岸くん(パーカッション)をネギくんがステージ上でイジる。「次の曲は、家出男に捧げます!」。その後もネギくんはいろんな人に曲を捧げていて、それは半分照れ隠しでもありつつ、本当にそう思っているんだろうと感じる。

主催の愛はズボーンのライブは数年ぶりに見たけど、久しぶりに気持ちのいいロックバンドのライブをたな!と晴れ晴れした心になった。開放弦でEのコードを鳴らすギターと『ニャロメ!』の歌詞に痺れた。「大人になれば ギターが買えるぜ!」。

金城くんにフラスコ飯店の記事(バックトゥザフューチャーの記事が最高)いつも読んでます、と伝えようと思っていたけど、バタバタしていて忘れてしまった。京阪の終電に飛び乗って帰宅。


25日 名古屋 鶴舞K.D.ハポン(ネギクル)

この日は名古屋でライブ。近所のトヨタでレンタカーを借りて、京都駅でメンバーを拾う。
車に機材とメンバーを満載にして移動するのが久しぶりで、ちょっとテンションが上がる。あまりに車内がギュウギュウすぎたのでルーフバッグを使って、天井にも機材を乗せた。道中は相対性理論を聴きながら、ネギくんに永井聖一氏とレコーディングしたときのエピソードを聞く。

数年ぶり(調べたら前回は2015年にディスコ室町で来ていた)のK.D.ハポンは、小さいけど隅々まで人が手を入れている感じが伝わってくるハコ。カレーの香りが充満していてめっちゃ食べたかったけど、リハ後に回転寿司で爆食いしてしまったことが響いて食べられず、それは心残り。あと、ハポンで働いている方が書いているブログをいつも読んでいるのでそれを伝えたかったのだけど、なんか変なふうに言ってしまったかもしれない。すみません。いつも更新を楽しみにしています、ということだけ伝えればよかった。

ライブでは、ドラムが家出男の岸くんでベースがこうしろうくんのレア編成。ネギくん以外のメンバーのスケジュールが多少だめでもライブができてしまうのがこのバンドのすごいところである。そしてどの編成でもいい感じのグルーヴがあるのは、鴨川の夜露でビショビショになりながら練習しているからだ。

ライブが終わったらすぐに京都にトンボ帰りして、終電がギリギリのメンバーと、翌日にもライブを控えたネギくんを降ろす。
リハーサルスタジオの前に車をつけると、ネギくんはひとつ前に停車したハイエースに乗り込んで、そのまま福岡に向かった。遠征の機材車を乗り換える人を初めてみた。ネギくんの残りHPを心配しながら帰宅。

夜はiPhoneで録音していた音源を聴きながら寝てしまい、夢のなかでもう一回、ハポンで演奏することになった。


26日 二条nano(踊る!ディスコ室町)

nanoでディスコ室町のライブ納め。朝、トヨタにレンタカーを返却してからスタジオに向かう。
練習にはミキさんとクマ山さんが来れなかったので、残る4人で前回のライブで上手くいかなかったところを詰める。ライブが続いていると自然と修正できるところも、最近はどうしても間隔が空いてしまうことが多いので、意識的に直していく必要がある。

それでライブはといえば、ツーマン相手のmothercoatのバイブスも受け取れたこともあって、相当上手くいった。おわちゃんもマルちゃんも「今年で一番よかったんじゃないか」と言っていし、年内最後にそういうライブができて良かった。

(↑配信のアーカイブ、ぜひ見てください)

うっすら雪が積もるなか、大量の機材と物販を抱えて帰宅。おわちゃんと配信アーカイブで当日のライブを見る。全体的にテンポ速いんじゃないかと指摘すると、「現場ではそれが気持ちよかったからいいでしょ」と。そりゃそうかと納得した。

この日は有馬記念もブチ当たり、安眠できました(ありがとうディープボンドと和田竜二)。


27日 心斎橋Pangea(ネギクル)

やっと6連続のライブも折り返し。毎日のように機材と物販を大量に背負って出かけていると、これは現代の行商ですな、という気分になる。今年はZINE*1を書いて売り出したときに、物を売り買いすることってコミュニケーションだなーと実感したのであった。それをバンドの物販にもめちゃくちゃ適用しようと思ってネギクル物販では音源以外にもいろいろ売っている(ZINE、台湾茶、雑誌など)。みんなに見てほしいし、いいと思ったら買ってほしい。

会場に到着してライブを見ると、前半に出ていたみらんさんの演奏がめちゃ良くて、本人にめちゃ良かったですと伝えた。ネギクルについても「噂はかねがね…」と仰っていただく。ありがとうございます。あとでSNSをフォローすると、Tumblrに文章を綴っているのを発見した。僕は文章を書く人をめちゃくちゃ信頼してしまう。

自分たちのライブも上手くいったんじゃなかろうかと思うけど、お酒絡みで少しトラブルを起こしてしまったところがあり、そのへんは反省しないといけない。ライブのときは演奏に集中したいんだおれは。


28日 堺ファンダンゴ(ネギクル)

おれたちの年末商戦も終盤、この日は堺。16時には会社のSlackに「よいお年を」を書き込み、慌ててレンタカーを借りて大阪へ。

十三にあったファンダンゴが堺に移転してから、出演するのは初めて。なにを隠そう、堺はめちゃくちゃ地元(高校の最寄り駅)である。車を停めるために堺駅の東側にまわると、急激に周辺のマップが脳内に戻ってきた。実家には年に数回帰るけど、堺駅に来たのは数年ぶり。花柄ランタンの二人と久しぶりに会ったり、メンバーに「セトウツミ」のロケ地を案内したり、地元を満喫した。そういえば、今使っているギターを譲り受けたのも堺駅周辺である。今はもう無いPAGE1という喫茶店で、常連の青山さんという人に貰ったのだった。

ライブは持ち時間25分であっという間、やっぱり40〜60分くらいはやりたいね(強気)。

翌日のライブに向け、直接東京に向かって出発。途中でナビの変調に惑わされたりしながら、4時だか5時だかに足柄SAに到着。バンド事情に詳しい人には有名だけど、足柄SAにはお風呂と休憩スペースがある。みんなで風呂に入っていると、ネギくんはサウナ内で指に木のトゲが刺さってしまい、近くにいた知らない人からトゲ抜きを借り、お礼にCDを渡していたので笑った。

さすがに疲れ果てており、全員が休憩スペースで気絶。


29日 下北沢mona record(ネギクル)

全員ぼやぼや起き出して、SAのベンチで朝メシ。変なクッションで寝たせいで体の節々が痛い。
なんとか目を覚まして東京に向かう。無事に到着するも、ライブの会場を目的地にしてしまったために下北沢駅前の商店街にワゴン車で突っ込んでしまい、通行人から冷たい目を向けられる。

中華屋で昼食をとったあとリハーサルに臨むと、なんの要望もしていないのにモニター(ライブ中に演奏者が聴く音)環境がめちゃくちゃ良い。あと、ギターアンプの音もめっちゃ良かった。お金が無いことを言い訳にしてずっと会場に置いてあるジャズコーラス(標準的な、どのライブハウスにもあるアンプ)を使っていたけど、さすがにこんないい音が出るなら自分のアンプを持っていてもいいかもしれない…と思った。

リハ後、下北沢の知的水準でも見せてもらいましょうか…と思って本屋B&Bに行くと、なんと自分が書いたモンゴルZINEが売っている。そういえば販売店舗一覧にB&Bも入っているのだけど、東京は行けないしな〜と思ってあまり認識していなかった。ひねくれ気味に入った本屋であったけど、自分も下北沢の景色の一部を作っているのだなと思い感動した。思えばライブをしているのだって、街の景色を作っているはずである。それはお客として見に行くときも同様。いろいろ感動して、とりあえずとなりにあった自主出版本『ウズベキスタン日記』(Blood Tube Books)を購入。正月休みに読みます。


ライブ本番も満員御礼、最後の力を振り絞ってみんなで絶唱。とりあえずこの1週間で仕上がったものは全部出せたけど、このバンドはもっともっと良くなっていけると思う。

帰りの車内でネギくんともそういう話をしてみると、想像以上に俯瞰した目線でバンドのこれからを考えていた。いつもニコニコしていて優しいネギくんだけど、内にはそういう熱い部分や、強いリーダーシップを持っている。ネギクルでは、そのへんが伝わるといいなあと思う。伝わってるよね。





そんで今は、実家に帰ってきて紅白を見ながらブログを書いていた。

毎年この時期に1年の振り返り記事を書こうと思うけど、結局忙しくて書けないんだよな。まあそれでもいいか。


このあとテレビで中村佳穂氏を見るのが楽しみ。それではみなさんよいお年を!




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*1:ブログで宣伝し忘れていたけど、モンゴルに行ったときのことをZINEにまとめて売っているのです sites.google.com