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踊る!ディスコ室町のギター

木屋町日記

◯2024/03/18
木屋町のライブハウスで先輩ミュージシャンのライブがあって、ゲストに岡田拓郎氏を呼んでいるというので見に行った。最近話題の柴田聡子のニューアルバムでサウンドプロデュースを手掛けている気鋭のギタリストである。

会場には開演ギリギリに到着したが、テーブル席はステージ正面のいい場所に座れるくらいには空いていた。せっかく気鋭が来てるのに……みんなもっと見に来いよ京都! そういうとこやぞ! と勝手に憤っていたが、そのうちに演奏が始まって、瓶ビールをあおりながらそれを聴いていると気持ちはだんだん落ち着いた。即興演奏のパフォーマンスをするステージ上には気持ちのいい緊張感があって、お互いがお互いの音をきちんと聴いていることがよくわかって興奮してさらにビールを飲んだ。

終演後、一緒に見ていた友人バンドマンpayaくんに、村上春樹が『職業としての小説家』の中でフィジカルの大事さを語っていたことを力説する。姿勢を改善すると演奏の質も変わる、という話をしていたらライブハウスのお姉さんに「やたら健康の話してるなー」と笑われたが、よく聞いているとお姉さんも「私も一日に千回くらい腹筋してた時期あるわ」と言っていて、やはりフィジカルは大事。

しかし本当に、こういうライブにふらっと出かけられて、適当に酒を飲んだりめし*1を食いながらゆっくり見られる(しかもチャージフリー投げ銭制)のは京都のいいところであり、逆にいうと、もうちょっとお客が来てもいいのになっていうところには課題がありそう。

普段柴田聡子や折坂悠太を聴いているオシャレ大学生などは山ほどいるんだろうから、そういう人たちがよくわからないままやってきて即興演奏を1時間聴かされて帰る体験をしてほしい、誰も歌わへんのやなとか言いながら帰ってほしい、というのが終演後に飲んでいるときに出たわれわれの願い。でもまあ、ギリギリに行っても座れるやろなと思いながら適当に行ける気楽さも捨てがたいので、とりあえず投げ銭はやや多めに出しておきました。

*1:会場のアバンギルドは飯がうまい!

求む! 会話

今週はおおむねスマホの電源をオフにして過ごした。これは調子がいいので続けたいがひとつおかしいぞと思うことがあって、それに今日やっと気づいた。さびしいのである!

引き続き在宅勤務を続けてい生活そのものが大きく変わったわけではないのだけど、スマホで気を紛らわせていないぶん、毎日さびしさと直接対決することになっている。気が紛れない明晰な頭のまま生活しているので読書などは非常にはかどっていて、人に話したい話題は蓄積している。

こういうときいつもClubhouseを思い出す。瞬間的にブームになっていた頃は知り合いやその知り合いとカジュアルに話せることに大興奮していたものの、みんなすぐに飽きてしまって今はアプリの趣旨自体ちょっと変わってしまった。ツイッターがパクリサービスをやっているがあれはかなりの大人数に見られているようで居心地が悪い。

外出が憚られたあのときとはちがって今は外に出て人と会えばいいのだろうけど、週末お茶でもどうかと誘った友人はみんな忙しそうでなかなかつかまらない。同世代の人々は仕事に邁進したり家族が増えたりしているようで一体どうなってるんだ。みんなもっと暇であれ!

本の雑誌の「今月書いた人」は原稿到着順

今週からまたスマホの電源を切って生活していて、今のところかなり調子がいい。秋ごろにもスマホ電源オフ生活を試していてそのときも調子がよかったのだが、インフルエンザにかかったり寒さに震えたりしているうちにまたスマホ中毒患者に戻ってしまっていたのだった。しかし季節がめぐり、再びスマホの電源を切る元気を持てるようになってきた。

それでスマホの電源を切っているとなにが起きるかというと、暇になる。

なのでコーヒーを飲んだりするときには買ったままそのへんに転がしていた雑誌などをパラパラやっている。今日読んでいたのは「本の雑誌」の2月号。本の雑誌はこの数ヶ月で買い始めたんだけど、いい感じに力が抜けていて読むのが楽しい。椎名誠が好きなんだからもっと早く気づくべきだった。

最初に読んだときに、いいな、こんなんありなんやな、と思ったのは、巻末の「今月書いた人」のページが原稿到着順になっているところ。書き手からしたらプレッシャーかもしれないけど、読んでいるぶんにはおもしろい。

「今月書いた人」のページには各自の一口コメントも載っている。穂村弘が「毎日納豆を食べています」と書いていたり、べつやくれいさんが「ガムを買ったら『一日二粒を目安に噛め』と書いていたけどガムくらい好きに食べさせてほしい」などと書いていて、在りし日のツイッターのようである。たしかにガムに目安とか言われるとうるせえなって感じだ。

本の帯は広告だから捨てる

non117.com

買ってきてテーブルに置いといたら帯がうざったく見えてきた。 帯は広告なのだ。本屋の数万冊の本のなかから「我を買え」とアピールするための広告。本来の装丁を台無しにしてくれる。 買ってしまったら帯はもういらない。広告は役目を終えている。帯は全部捨てましょう。

週報 2024/03/10 脳裏のおじゃまぷよを消し続ける生活 - しゅみは人間の分析です


これは本当にそうだと思ったし、自分も帯を外してみて「こんなにいい装丁だったのか!」とびっくりしたことがあった。

まずは椎名誠『シベリア追跡』(小学館)。読み終わったあとにふと帯を外してみたら、凍りついたお馬さんの顔がバーンと目に入った。古本屋で買ってからしばらく寝かせてしまった本だけど、この装丁を見ていたらもっと早く手をつけられたはずだ。馬さむそう。


それから、山野井泰史の『垂直の記憶』(ヤマケイ文庫)もひどい。切り立つ巨岩に向かって行く後ろ姿が不安を感じさせる最高の写真だが、帯をしていると山野井氏が隠れてしまって、なんか熱帯魚の水槽みたいに見えてしまう。帯も大したこと書いてないように思うけど、この帯をつけることで売上がアップするのかなあ。


どちらの本も帯が付くことによって、なんだかよくわからなくなってしまっている。ちなみに内容は最高なので、両方買って、帯は捨てるのがおすすめ。

自分はどちらかというと本の帯は大事に取っておいてしまうことが多かったけど、今後は臆せず捨てるようにしたい(もしかっこいい帯が付いているときは残す)。帯を大事に取っておくのって「いつか売るかも」とか考えていた頃の名残のような気がする。

ハモリは分身した人格

aikoの『花火』を聴いていると*1、サビの歌メロについているハモリが下にしかないんだなーと思った。

歌いだしからずっとプレーンなボーカルが続いて、サビだけ下ハモリがついている。上ハモリがつくよりも冷静な感じがするし、なにか諦念みたいなものも感じさせる(曲調は明るいけど失恋ソングである)。ハモリのパートを歌ってみるとなるほど「ぶら下がって」いる感じもする。

今まで漠然と聴いていたけど、ハモリってメインの歌から分裂したもうひとつの人格なのかもしれん。

それで意識して平成のヒット曲を聴いてみると、同じくらいの時代に活躍していたグループはけっこう「サビで下ハモ」を多用していて、スピッツはその代表格である。『チェリー』『ロビンソン』『空も飛べるはず』『楓』、全部サビで下ハモリがついている。スピッツの曲はからはいつも「なんか死にそう感」をうっすら感じていたが、このハモリこそがアンニュイな性格を響かせているのであった。

最近でいうとあいみょん(『マリーゴールド』など)も「下ハモリ」を使っているな〜とか、逆に槇原敬之は上でハモっている曲が多いな〜とか思いながら90年代〜00年代のJ-POPを聴き漁っていると、なんと上下を移動するハモリもあった。YUI『CHE.R.RY』である。

曲のはじめからサビの前半まではずっとメインパートより上にハモリがついていて、サビの最後「♪星の夜願い込めて〜」だけ下ハモリになっている。うわずってしまうようなドキドキ感と、メール送信ボタンを押す前のやっぱ無理かも感、そしてボタンを押す覚悟が決まってからはハモリなし。そういう表現になっていたとは気がついていなかった。ていうかこの曲、携帯メール全盛の時代を思い出して懐かしいっすね。

*1:土井善晴さんのことを考えていてふと思い出したのがaikoの『花火』で、サビ前のハイライト的に登場する「疲れてるんならやめれば?」「一度や二度は転んで見れば?」はわりと土井善晴先生のメッセージと同じなのではないかと思ったのだ。疲れてるんなら一汁三菜とかいって無理するのはやめなはれ。おうちの料理で完璧を目指すのはやめなはれ。 これを土井善晴aiko説として膨らませてみようと思ったものの、それはあまりうまくいきませんでした!

今週読んだ本

もう最近は読む本読む本おもしろくてしょうがない。とりあえず直近1週間はこの3冊。


◯言葉と生きる日記(多和田葉子
古賀及子さんの選書フェアで出会って即買いしたら名著だった。
「早起きは三文の『得』ではなく『徳』」「ドイツ語では『すべる』が縁起のいい言葉」「世界的に見れば主語を省略できる言語の方が圧倒的に多い」など、知らなかったことが毎ページに書かれていて、へーへーいいながら読んだ。こう書くと豆知識本のように見えてしまうかもしれないけどそんなことはなくて、著者と一緒に気づいていけるような感覚が心地よい。そのあたりは日記という形式の妙というか、読みやすさ親しみやすさがあるところだ。


◯喫茶店ディスクール(オオヤミノル)
京都のコーヒー焙煎家・オオヤミノル氏。以前『珈琲の建設』は読んだことがあったけど、最近ふとしたことで名前を思い出してみると、誠光社から新しい本が出ていた。
帯にも使われている「契約」という言葉がよく出てくる。たとえばコーヒーへのこだわりを標榜しているカフェでエチオピア・ブラジル・インドの豆を選べるとして、その味のちがいが客に伝わらなかったらそれは契約違反だよね、みたいな話。「店は客と契約するんだよ。でも客は店と契約するわけじゃない」。このへんは読んでいて背筋が伸びた。
茶店をはじめとする規模の小さい商売についても言及が多くて「資金調達」という章まである。そこではいきなり「資金を作るために佐川急便で頑張ってバイトするなら、同じくらいの頑張って出資者を探せ」と言っていて、たしかになと思った。自分のまわりにも最近カレー屋をオープンしようとしている友達がいて、もし彼が困ってたら出資したいなとか考えてみている(本人! 読んでたら連絡ください)。


◯珈琲の建設(オオヤミノル)
何年か前に読んだはずだったけど再読。コーヒーの話もおもしろいけど、改めて読んでいるとサービスに関する話が印象的だった。「味なんか三流でもサービスがいいところを選ぶ」とか言っている。なるほどな〜とか思いながら近所でそれぞれ老舗のお好み焼き屋と中華屋に初めて入ってみたら、どっちに行ったときにも注文時に「ビールは料理と一緒にお持ちしますか」と聞かれた。今まであんまり気にしてなかったけど、庶民的な店でのサービスってこういうことかもしれん。
コーヒーをドリップすると、まず①ピュアなコーヒー液が抽出されて、そのあと②エグ味の原因になる出がらしがでて、最後に③無害な出がらしが出てくるといっている。こないだ久しぶりに行ったKAFE工船で出てきたのは①と③だったのか。前回7年前に行ったときも今回もこの本を読んでから行ったはずだけど、全然気づいていなかった。
本もコーヒーも背筋の伸びる味。この2冊は語り起こしのような形で作っていると思うけど、それにしても誠光社堀部さんすごい仕事だなあ。
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コゲてるものはうまい

うまいバナナトースト

京都の名物コーヒー店、KAFE工船に行った。チェンマイに行ってから自分の中でコーヒーブームが再燃して、タイ現地の農家から買った生豆を家で焙煎しまくっているが、たまにはプロの豆も体験したくなったのである。

注文したのはパプアニューギニアのミディアム(中ヤキ)と、バナナトースト。コーヒーはこってり・あっさりを選べて、同じ量の豆からの抽出でこってりだと90cc、あっさりだと180ccが提供される。たしか前回は大学卒業間近に行ったので7年ぶりの訪問であるが、前もこんなシステムだったっけ? と思う。7年前のことが全く思い出せない。

こってりを注文すると、コーヒーのカップと別で「濃度調整用のコーヒー」(それだけで飲んでみたら、コーヒーの香りがついたお湯という感じだった)が入った急須も渡された。濃すぎたらこれで調整してください、とのこと。実際、ちょっと濃いなと感じたのですこし薄めて飲んでみるとちょうどよくなった。うまい。家で淹れてるコーヒーも濃いなと思うことがあったけど、薄めてもいいのか。薄めて飲むというのはもうエスプレッソに近い。ドリップなのにすごいことだ。

バナナトーストもめちゃくちゃうまかった。トースターから出したあとにバーナーでカラメルが焦がしてあって、まだらのカリカリ層が強烈に甘い。そしてバナナもそれに負けじと甘い。添えられたサワークリームをつけると後味が爽やかになって全然飽きない。濃いコーヒーの苦みも際立つ。いやー久しぶりに食べ物で感動した。

コーヒーも焦がしの技だし、キャラメリゼもまた焦がしを味わうものであった。ちょうどいい焦げってなんでこんなにうまいと感じるんだろうなあ。焚き火で肉を焼いてた時代に、焦げてるくらいのが安全で、それの名残だったりするんだろうか。それがコーヒーとかキャラメリゼにも当てはまるのかはわからないけど。

余談だけど焦げといえば、今日公開されたデイリーポータルZの記事に焦げたタオルを登場させていた。食べ物じゃなくて物体が焦げている写真を見ると本能的に危機を感じるのか、一部読者から「危険である」という趣旨のご意見をいただいていますが、大人なんだから大丈夫であります。
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