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踊る!ディスコ室町のギター

言い換えるべき言葉

世の中には言い換えるべき言葉がいろいろある。
物事をよりよく考えるためにも、正しい言い換えを思いついておくことが必要だと思う。

  • 迷惑をかける
    • 影響をあたえる、くらいにしておくのがいいんじゃないか。
    • 「迷惑」という二文字が発するネガティブ度は、実態としての迷惑度よりだいぶ高くなっているんじゃないかと思う。実際は軽微な影響であっても「迷惑」と判定された瞬間に100%許されない事態のように感じてしまう。
    • なんらかのアナウンスで「迷惑」を詫びられるたび、そんなに困ってないんだけどなーと思ってそれこそ困惑する。影響はあってもそれが謝罪を要求するほどのネガティブな影響であることは限られている気がする。むしろよかったですっていう、ありがた迷惑の逆パターンもなくはない。
    • たとえばインターネットでよく見るやつだと、有給休暇を取得するときに「ご迷惑をおかけしますが」とかってへりくだるのはどうなんだ、みたいな話がある。全くそのとおりで、ご迷惑をおかけしますが……と平身低頭的ご挨拶をかまされると、全然迷惑じゃないですよって励ますか、マジで迷惑しちゃうからやめてくれませんか? と無駄にキレたくなるかの二択を無意識下で迫られる。実際は誰かが有給で休むくらいで「迷惑!!」と思うことはないので、励まし損 or キレ損が発生するぶん負担が大きい。言ってるほうも、自分は悪くないのに謝罪風テキストをみんなに送信することになって損。
    • その点「影響をあたえる」くらいにしておくと、わりと丸くおさまるんじゃないか。有給休暇の報告で「業務には影響を与えますが」とか書いていたら、そりゃあ少しは影響もありますよね、と冷静に受け取れる気がする。人が活動している限り誰かになんらかの影響を与えるのは当然なので、それにいちいち構ったりブチギレたりしていると、変な人になってしまう。
    • (そもそも有給は「休みます」でいいと思う)
    • ちょっと話がずれるけど、高校生くらいのときに「日本人は他人に迷惑をかけないようにビクビクしているけど、インド人はお互い多少の迷惑を許容しあって暮らしている」みたいなイイハナシ風の文章をTwitterかなにかで見て、後者の生き方でいいやんかと思って自分はわりとそのスタンスを意識して生きている。実際インド人がどうなのかは真偽不明ですがイイ話的ツイートが人生に与える影響ってすごいですね。
    • もちろん人に迷惑はかけない方がいいけど、生命として活動を行う以上だれかに影響を与えることは避けられないので、影響を与えるなー・与えられるなーと思っておくくらいがお互いに気楽なんじゃないかと思う。
    • 気軽に「迷惑」って言ったり思ったりしていると、事態を過剰にネガティブ方面に評価してしまう・させてしまうと思う。あと、あの人は迷惑な人! みたいに判定したいときって、断罪することの気持ちよさがありそうで、あんまり健康的じゃないのでやめたほうがいい。