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踊る!ディスコ室町のギター

本を読む生活

2021年は本をめちゃくちゃ読んだ。読書メーターに登録した冊数で89冊。4月か5月くらいに「この調子で年間100冊を目指そう」と思ってモリモリ読んだけど、結局100冊には届かなかった。今はいいとこ取りで100冊/年を目指しているところ。

もともと本を読むのは好きだったけど、2021年は特に意識して、たくさん本を読むようにした。
すると結構、生活が変わってきた気がする。

会社をやめた

大きく変わったことのひとつが、退職である。いろんな本を読んでいるうちに、資本主義だるい、ブルシット・ジョブだるい…という気持ちになり、退職に至った(念のために記しておきますが、もちろんもっとたくさんのことを考慮しての決断です)。
その後は在宅勤務ができるアルバイトなどをして過ごしている。収入は激減したし、今後どうやって食い扶持を維持していくか、みたいな大きな課題はあるのだけど、とりあえず生活には大きな変化があった。


特に大きかったのは、めっちゃ話題になっていた『ブルシット・ジョブ』。化学系のメーカーで総務人事をしていて、まさに自分に当てはまる部分も多かった。毎日なにをやってるんだろう、と思うようになった。自分のデスクで昼休みに読んでいたけど、よく考えるとデスクでブルシットジョブを読みだす社員は絶対辞める。

www.iwanami.co.jp


他にも、100分de名著『幸福論』(ラッセル)で不幸せの条件として「自分の持つ能力が発揮できていない」ことが挙げられていたり、ナリワイ伊藤さんが『イドコロをつくる』で指摘した「イドコロ」の概念も、決断の材料になった。「正気を保つため」の場の条件を裏返すと、それって会社のことやん、と思えたのだ。

100分de名著 ラッセル『幸福論』 2017年11月 | NHK出版

【東京書籍】 一般書籍 文芸 イドコロをつくる

本書では、威圧的な圧力がなく、思考が開放され、ときには鼓舞されるような場、「イドコロ」について考える。
(『イドコロをつくる』伊藤洋志 序文)


とにかく、退職に至るきっかけになるような読書経験が確かにあって、本を読んで人生を動かされることってあるのか〜、みたいな新鮮な驚きがあった。

自分で読みたいものを選んでいるので、自分の考えを強化する方向に進むのは当然ともいえる。でも、背中を押されるようなパワーを受け取ったことは確か。


メモを取る習慣がついた

なにも会社を辞めるとかそういうことだけが生活ではない。メモを取る習慣ができたのも、地味に大きな変化だった。

これは『ライティングの哲学』を読んでから始めた習慣。

bookclub.kodansha.co.jp

「書けない」に向き合う。『ライティングの哲学』を読んだはてなブロガーの感想をピックアップ! - 週刊はてなブログ


何かを書く行為は、よっぽどのことがないと人に見せることがない。それを4人の書き手が公開しあう様子をみて、もっと方法論的に取り組んでもいいのか!と目からウロコの思いだった。本を読んでいると、こういった「よく考えれば当たり前のこと」に気づく瞬間がある。


『ライティングの哲学』でメモ・執筆ツールについても語られているのを読んで、いくつかツールを試したあげく、いまはScrapboxを使って思いつきを書きとめている。千葉雅也はWorkflowyの良さを語っていたけど、簡単にインデントできたり、アーカイブ性があったりする点では通じる部分があるのだろう。

ツールを乗り換えてから、メモを取るための心理的なハードル(面倒くささ)が下がった。すると、不思議と文章もするすると生まれるようになった(気がする)。


名著といわれるような著作を残す人物がメモ魔だった、みたいな記述に複数触れたことも、ちょっと刺激になった。

昨年はNHKテキスト「100分de名著」を読んでその感想を言い合う読書会をやっていたのだけど、そこで「メモ魔」の描写に何度も出会った。たとえば『資本論』を書いたマルクスも例に漏れずメモ魔で、最近はその残されたメモや草稿を読み解いたり、その膨大な資料をアーカイブ化するようなプロジェクトもあるという。マルクスだってメモを取っていたのだから、自分だってメモを取らないと文章は生まれないだろう。大げさかもしれないけど、そういう気持ちになった。

思いつくままにメモを取ってみると、書き出してみたことに対しては冷静に考えられるように思う。かっこよく言ってみると、思考の外部化とでもいうのかもしれない。関連するなにかを思いつく頻度も高くなった。

もっと本を読みたいと思うようになった

本を読んで生活が変わった、という記事でこんなことをいうのも変かもしれないけど、以前と比べても、もっともっと本を読みたいと思うようになった。

直接的なところでは『本は読めないものだから心配するな』『乱読のセレンディピティ』みたいな、読書にまつわる本を読んで勇気づけられたのもあるし、そもそも本屋に行って本を買う、という行為の頻度があがったことで、世の中には無限に本があって、その一部しか受け取ることができない!みたいな当然のことを思い出すようになったからでもある。

たまに本屋さんで大きな本棚と対峙して、自分の無力さ(死ぬまでにこの店の数%でも読み終えることができるのか、というような)を思い出す。そうすることで、本を読まねば!と気力がチャージされるような気がしている。

www.chikumashobo.co.jp

乱読のセレンディピティ|書籍詳細|扶桑社


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いろんな変化があって、別にそれが良いものばかりとは思わない。それに、コロナ禍でうんざりすることが多すぎて、逃避的に読んでいたような部分もあると思う。
が、それでもやっぱり本を読むという行為そのものが好きだし、読まないと考えることができなかったことがたくさんある。

あと今後起こりそうな変化として、上手くコトが運べば、本を読んで思ったことなどを某所で発表していくことになるかもしれない。
それはそれで、ひとりで悶々と考えているのとは違う体験があるのだろう。楽しみです。原稿料で本が買える!


今年もめちゃくちゃ読みたい。読むぞ!