つぶあん / こしあん 論争みたいなものがある。どっちが好きとかそういうやつ。近くで議論がはじまるたび、みんな熱心に話しているなーと思うけど、あんまり理解できなくて、わたしのスタンスはずっと「どうでもいい」だった。そもそも、あんパンとか大福とかを食べて「あんこだな」「甘いな」と思うことはあっても、「つぶあんだ!つぶつぶしてる!」とか「このこしあん、上品で最高!」とか、そういうふうに思ったことがなかった。
しかし最近はちょっとそのスタンスについて反省していて、それは自分が、食べ物をあんまり味わってないんじゃないかと思いはじめたから。
最近イナダシュンスケさんの『おいしいものでできている』を読んでいたら、「月見うどんの卵黄を破ってうどんをすする最初の一口」のうまさとか、「カツカレーはカツとカレーを足していて、1+1が3くらいになってほしいのに、実際は1.5くらいにしかならない」とか書いてあって、世の人はこんなに食事を楽しんでいたのか! と思ってびっくりした。月見うどんの卵を破ったひとくちめがおいしいのとかは感じてはいるけど、それを楽しみにできるほどは味わえていないというか。
もちろんイナダシュンスケさんはその道のプロだし、感じたことを伝えるのも上手なんだろうし、なによりおいしいものがとんでもなく大好きな人だから、それを「世間」として捉えるのはまちがっている。けど、やっぱり自分はあんまり味わっていないのかもしれない……と思うにはじゅうぶんなくらい、新しく「おいしい」の概念が読書によってインストールされた気がする。本ってありがたいですね。
そもそも、ここ数年の自分を省みると、めしを食うときにめしだけに集中していることはほとんどなくて、だいたいはスマホで動画やらなんやらを見ているか、Twitterをみているか、本や漫画を読んでいることが多い。そりゃー味なんてわからんよな、と思う。自分で作ることが多いから、味の予想がつきすぎるというのはあるけど、もうちょっと口のなかに意識を向けていきたい。
好き嫌いはともかく、つぶあん / こしあんくらいは無意識に弁別できたほうが、食事エクスペリエンスがいいはずだ! 食事エクスペリエンスがいいと、人生エクスペリエンスもよくなると思う。肉じゃがもオムライスも阿闍梨餅も、集中して食べていきたい。YouTubeやTwitterにアテンション取られている場合じゃない。これは自分に対する宣言であり、戒めです!
*1:ぺろりと平らげる美学 - 大胆な動き そういえば友人が同じような話を書いていた(彼とは何度かこういう話をした)。これからは味の時代、っていい言葉やわ。みんなで味の時代にいこう!