きのうは某結婚披露宴に出席していた。新郎はおれの同級生だから30歳で、いまどき他の同級生たちは親族だけで結婚式はするけど披露宴はなし、みたいな人も多いから、披露宴というものに出るのは久しぶりだった。式はつつがなく進行して、おれたちのテーブルだけ酒を飲みまくりパンもおかわりしまくり、最後は余興のバンドとして出ていって井上陽水奥田民生の『ありがとう』を演奏して新郎新婦に歌わせ、あまりの幸せムードにちょっと泣いた。好きな人イヤな人、みんなありがとうYeah。めでたい席というのもいいものですね、と普通の感想を持った。夕方までに式は終わったが、飲みすぎたので寝るまで頭が痛かった。
今日は実家の母に呼び出されて、用件はタンスの解体であった。背丈より高い立派な和箪笥でたぶん両親が結婚したときに買ったものだ。ここ最近は特に開けられることもなく、場所ばかり取るのでとりあえず半分の高さに改造したい、それを手伝ってくれということだった(DIY精神のある実家なのだ)。タンスからは両親の結婚披露宴の写真やら祝電やら当日の料理のメニューやら芳名帳やらが出てきた。母が「こんなもんは見れば見るほど減価償却されるっちゅうもんや」と言うので写真をまじまじと見た。わたしより若い両親や、今の両親くらいの祖父母が写っていて、きのうの披露宴の様子と重なった。写真の両親は妙に真剣な目でカメラを見ていたが、いまの両親は「若いもんが力仕事に来たら助かるなあ」とか言っている。
そんで夕方、最近ちょっとボケはじめたというおばあちゃんの様子を見に行った。来週で91歳になるおばあちゃんは元気そうだがちょっと小さくなったようで、おれを見て「は〜誰だったかな」というような困った顔をしていた。10年くらい前から会うたびに「セイイチ(私の叔父)かと思ったわ」「フミさん(私の父)かと思ったわ」と言われていてそういうボケ(・ツッコミのボケね)かと思っていたのだが、いよいよ本格的に忘れかけているらしい。母が「小さいとき、よくオンブして踏切まで電車見せに行ったやろ」と説明すると、あーそうやったそうやったそれは覚えてる、あれがマコトやな、と言ってくれるのだが、その記憶と今の私とはあまり繋がらないらしかった。「で、子どもさんはいてませんのか?」とか言われたりして。おじいちゃんの方は記憶は健在みたいなのだけど足が悪くなって自由に動けず、にこにこしているような困ったような顔をしていた。
なんか30年飛ばしで人が生まれて結婚してからなにかを忘れていくまでの様子を一気に見せられたようで、帰りの京阪電車でちょっとクラクラしてしまった。電車で読もうと思って持ってきた文庫本も川端康成の『山の音』で辛気臭かったが、かといって明るい本やまじめな本が読めるような気分でもなかった。帰ってきてギターで『ありがとう』のコードを弾いてみて、変なところにマイナーコードが差し込まれているいい曲だった。ブルーになることもあるけどそれでも進んでいくということか。ありがとうYeah。