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踊る!ディスコ室町のギター

モンゴル記事の抜け感

9月中旬から月末まで2週間ほどモンゴルに滞在しまして、そのときのことについてデイリーポータルZで記事を書きました! Twitterをフォローしてくださっている方は、私がしつこくリツイートしたのですでにご存知かもしれません。

dailyportalz.jp

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帰国してから、10月はなんだかフワフワしたまま1ヶ月を過ごしたような気がする。そんなに長い旅をしたわけではないけど、自分のなかに変化が起きたのを感じたというか。

まず、身近なところでいうと、読む本がしっくりこなくなった。

いつも読む本を選ぶときは、買ったけど読んでいない本の在庫から、そのとき読みたいと思える本を引っこ抜いて読んでいる。これが帰国してからできなくなった。50冊の未読本のなかから、読みたいと思える本が見つからない。全部読みたいと思って買った本だから、今までそんなことはほとんどなかったけど、モンゴルから帰ってからはずっとそう。

無理に選んだ本を読んでみたりしながら悩んでいたけど、ついにぴったりくる本を見つけて、それは星野道夫だった。年明けくらいに、急に冒険ものというか、そういう本が読みたくなって2冊買っていたんだった。結局読んでいなかったけど。

それで毎晩読んでいると、なんとなく違和感の正体がわかってきて、それは視点の近さなのかもしれない。

それまで読んでいた新書とかに比べると、星野道夫は圧倒的に遠くを眺めている。たぶんそれって、書きながら見ていた景色の抜けがよかったのではないか。原稿は家で書いていたかもしれないけど、起こった出来事を頭のなかで再生するとき、その背景は雪原だったり、海原だったりするだろう。それが文章にあらわれているのだと思う。文章とは書いた人の視線のトレースだ。モンゴルから帰ってからは、そういう視線がしっくり来ているような気がする。


というところで記事に話を戻すと、ノマドワーク記事も自分なりに抜けのいい記事にしようと思って書いたところもある。

「抜けのいい記事」っていうのは自分でもうまく定義できないけど、抜けのいい景色とか、抜けのいい映像、みたいな言葉なら伝わりやすい気がする。遠くまで見通せるような。同じように、抜けのいい文章とか、抜けのいい考え方、抜けの良い記事があるかもしれない。抜けのいい仕事とか、抜けのいい生き方もあるかもね。

記事の文章はそんなに抜けがいいものになったかわからないけど、記事に使った写真は、かなり抜けがいいと思う。冒頭からゲルに到着するまで、7連続で地平線(またはそれに類する景色)が見えている写真を使ったWeb記事ってあんまりないんじゃなかろうか。草原の抜けを感じてください。