◯6月21日
初めてデモに参加した。
たまたま連絡した先輩がBLM(Black Lives Matter)のデモに行くというので、ついていったのだ。
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このところアメリカを中心に激しさを増している人種差別に対する抗議活動の様子は、京都でぼんやりしている僕のSNSにも届いていた。過去にもこういった活動は何度もあったと思うが、今回は特に現地の映像、それも報道や防犯カメラではなく市井の人がスマートフォンで撮影したような生々しい映像を何度も見ることになったこともあってショックが大きかった。
何より衝撃だったのは、ジョージ・フロイドさんが警官によって殺害されるまさにその瞬間の映像だ。地面に組み伏せられ、ヒザで首を押さえつけられる様子を何度もリツイートやリポストの映像で目にして、毎回ひどい気分になった。
何が起きているのか自分なりに情報を集めてみて(もっとひどい気分になったりもしたが)わかったのは、人種差別というものは「肌が黒いからいじめられる」みたいなことだけでなく、社会構造そのものの問題であるということだ。
小沢健二のポストにあった「Racism=人種主義」という言葉も理解の助けになった。
Racismの訳語は「人種差別」ではなく「人種主義」です。Capitalismを「資本差別」ではなく「資本主義」と訳すのと同じ。
— Ozawa Kenji 小沢健二 (@iamOzawaKenji) June 1, 2020
Ism(主義)は、社会生活の全てに影響します。
今の米国の暴動を見て関心を持ったら、Structural Racism(システムとしての人種主義)を学ぼう。グローバル化の必須科目です。 pic.twitter.com/3qcAcKBzww
こういった記事を読み進めたりするうちに、この社会構造に、自分自身が加担していないか?という疑念を抱くようになった。現代の社会システムに乗っかって生活している以上、自分だって無関係ではないと強く思ったのだ。
そう思っていた矢先にちょうど近所でデモがあるというので、これは渡りに船だ。すぐに参加します!と連絡を返した。
何年か前に「働けECD」(植本一子)で読んだECDの「東電前に行って何をするという訳でもなく、とりあえず一度は行って自分がどう思うか知りたい」という言葉*1が心に残っていて、まさに今回、デモの現場で自分がどう感じるのか知りたいと思ったのだった。
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集合場所に到着すると、既にたくさんの人が集まっている。日本人と思しき人は半分くらいだろうか。身近にこんなに外国人が生活していたのか、ということに驚いたし*2、それを知らずにいた自分を恥ずかしく思った。
スタッフの方々(ほとんどが外国人の方だ)は新型コロナ感染追跡システム*3への参加を呼びかけていたり、熱中症対策の水や塩飴を配っている。周りの人に声をかけ、アメリカ人に大統領選の在外投票を呼びかけているおばあさん(この人はたぶんスタッフではない笑)の姿も印象的だった。これが先進国市民の姿か!と目を開いた。
大阪のデモにも参加したという先輩たちも、同じく大阪でも参加したという友達と話をしている。話を聞いてみると、大阪に比べて人数は少ないが、より社会運動としての雰囲気が強いという。大阪はもっとお祭りみたいな空気感もあったよ、とのこと。
15時になると、デモの趣旨や背景の説明が始まった。
今月初旬に起こったジョージ・フロイドさんの事件をはじめ、無数に起こっている不当な暴力、人権侵害に対して抗議すること。そして世界中で行われているBlack Lives Matterの活動に対して連帯を表明すること。
そして、全員でこの数年に殺害された人々の名前を呼び、8分46秒間の黙祷。名前を呼ぶだけで、殺害された人たちにそれぞれ人生があったことを感じたし、目を閉じたまま過ごす8分46秒(ジョージ・フロイドさんが警察官によって首を圧迫されていた時間だ)は気が遠くなるほど長い。
黙祷が終わり、いよいよデモ行進だ。
どこからともなく掛け声が始まり、シュプレヒコールを上げながら四条通りを歩く。Black Lives Matter!Say his name (George Floyd)!No justice (No peace)!。
これまで何度か、河原町を歩くデモ隊の姿を見たことはあったが、実際に歩いて声を挙げるのは初めてだったが、道路を闊歩して大きな声を出すということはそれだけで痛快だ。
歩いていると、沿道の様子がよく見える。一時的に通行止めになっていることにあからさまな苛立ちを見せるドライバー、 しらけた顔の通行人がほとんどで、当事者に対する風当たりを実感する。なかには威嚇ともとれる態度を示す人もいる。
しかし、こちらに手を振ってくれる人や、一緒にスローガンを叫んでくれる人も少なくない。そういう人を見かけると思った以上に勇気づけられた。
始まるまでは短いと思っていた行進のルートは歩いてみると結構な距離で、心地よい疲労感と共にゴール地点に到着。
解散した初対面の参加者たちが、「あなたのコールよかったよ!」みたいな会話でハイタッチ(コロナ感染対策のため、肘でのタッチだった)を交わしていたのが眩しい光景だった。
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終わってからツイッターで検索すると、デモに対して冷めた目線のツイートも多い。「わざわざ人通りの多い河原町でやるな」「なんで京都で?」「コロナのリスクも考えられないバカ」。もっと酷いものもある。
全く的外れな意見ばかりで馬鹿馬鹿しいが、一歩間違えると自分もそういった言葉を発してしまう可能性があるな、というのが正直な気持ちだ。実際、中学〜高校生くらいの頃は同じようなことを口にしたりしていたかもしれないし、今回まではWebやSNS以外の場所で行動を起こすこともしてこなかった。
しかし、今回デモに参加したことで自分の意識はより強いものになったし、不思議とBlack Lives Matter以外の社会問題に対しても敏感になった感じがしている。
そしてなぜそういう変化があったのか考えると、社会に参加しているという実感があったことが大きいように思う。
コロナ禍のオンライン化…もっと言えば学校を卒業して以来、同じような目的や問題意識を共有した人が周囲にいるという実感を得られることが少なかった。それがデモの現場では、同じような意識を持った人たちがこんなにいるのか!と感じることができた。大げさかもしれないが、これが社会か!と思い震えた。
自分が何を感じるのか知りたい、と思って参加したデモだったが、想像していた以上にいろんなことを感じられて嬉しかった、というのが感想だ。
何より、久しぶりに大勢の人と一緒にオフラインの行動を起こせたことが楽しかった。*4