「曲を聴いてほしい」というメッセージを頂きまして、聴いたんですが、最後に衝撃の展開が。
— 𝐒𝐀𝐏𝐏𝐎𝐑𝐎 𝐏𝐎𝐒𝐒𝐄 (@sapporo_posse) June 15, 2020
いただいたメッセージから察するに実体験のようなんですが、「えっ、あの人?」と思わず声が出てしまいました。⁰とりあえず、コメ欄読まないで最後まで聴いてほしいです。https://t.co/7TeffcbXLo
久しぶりに、音楽聴いてめちゃくちゃ食らってしまった。
とにかく、まだ聴いていない人は一度最後まで聴いてください。
会社のトイレでツイッターを眺めているときに冒頭のツイートが気になって、メモ代わりにいいねをつけていた。なんかいい曲なのかな、くらいに思っていたけど、家に帰ってからそういえばと再生してみるとめちゃくちゃに食らってしまって、文字通り震えた。
こんな経験を音楽にされたら、おれはこれからどんな顔してバンドとかやっていけばいいんだよ。
ニュースは知っていたし、それなりに怒ったり絶望したりしたつもりだった。けど、今日この曲で受けた衝撃と比べると、全然ポーズだったというか、どこまでも他人事として受け止めていたことに気づく。
そして、その距離を埋めて余りある力がこの曲にはある。
歌は、目に見えないものを記録して伝えていくための「拡張子」だ。この曲の5分13秒にも、とんでもない衝撃や、悔しさ、絶望、怒りが圧縮されている。テレビやニュースサイトの画面の向こうで起こっていたことが、自分が暮らすこの国で起こっているリアルだということが嫌というほど伝わってくる。
一聴したときの衝撃はもちろんだけど、サウンドや歌詞、MVに至るまで、2度目3度目と発見がある。YouTubeのコメント欄では景色に言及している人もいた。ショックをぶつけただけじゃなくて、細部まで手の込んだ素晴らしい作品だからこそ伝わるものも大きいのだ。
こういう音楽が世の中を変えていくんだと思うし、そうであって欲しい。
少なくとも、おれは変わった。
賽の河原(読み)サイノカワラ
①冥土に至る途中にあると信じられている河原。親に先立って死んだ小児がこの河原で父母供養のために小石を積んで塔を作ろうとするが、石を積むとすぐに鬼がきてこわしてしまう、そこへ地蔵菩薩が現れて小児を救うという仏教説話がある。
②転じて、際限のない無駄な努力のたとえ。
(出典 三省堂大辞林 第三版について )
みなさん反応ありがとうございます。曲中のエピソードは全て実話です。イースターエッグをたくさん仕掛けたのでよかったら探してください。
— crystal-z (@crystal98314751) June 15, 2020