少し時間が経ってしまいましたが、DPZで古墳の記事を書きました!
なんせ堺は地元です。正確にいうと実家は南隣の高石市というところにありますが、伝わらないので南大阪以外で話すときには堺市を地元と紹介しています。就学前までは住んでいたし高校も堺に行っていたから間違いではないでしょう。記事でも触れていますが、古墳群をぬうように自転車で走り回っておりました(塾が近かった)。
記事中で「近くで見てもよくわからん」と言っている大仙古墳ですが、まじで巨大です。
今は小高い森のようになっていますが、かつては朱塗りの瓦で覆われてビカビカに輝いていたそうです。3万体の埴輪に囲まれていたらしい。多すぎる。
なんでそんな巨大でビカビカの墓を作ったかというと、外交上の都合があった。
5世紀当時、日宋間で大使を送り合う際の主要な港は堺。中国からの勅使が到着する場所の正面に大仙古墳は建てられたんですね。日本に着いた瞬間に王のパワーを見せつける、対外的な権力誇示のためのものだった(という説)。
そんなわけでエッホエッホと古墳を作りまくっては盛り上がっていた堺ですが、織田信長とかが暴れていたころまで盛り上がり続けるものの、その後大和川の付け替えによって水運ルートが変わり、ちょっと盛り下がってしまったようです。
それまでは、古墳時代に集まった鉄職人たちが脈々と鉄製品(刃物や火縄銃)を作ったり、千利休がワビサビとか言ってブチアゲていたわけですが。秀吉許すまじ。
高校の先輩には与謝野晶子がいて夏休みには短歌の宿題が全校いっせいに出されていたとか、そういう地元トークは今後小出しにしていきたい。