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踊る!ディスコ室町のギター

鴨川で茶を飲む、これがイドコロや

鴨川で台湾茶を飲む会を開いた。

家の壁を塗ったときに集まってくれた友人たちに声をかけて、鴨川デルタにレジャーシートをひろげる。「台湾茶を飲む会」としているけど、べつに品評会をしようというわけではなくて、ただお湯を沸かしてお茶をいれるだけだ。


しかしこれが案外、充実感のある集まりだった。お茶の会にしたことで、アルコールが入ったときの変なアゲアゲ感とかもない。そのじんわり感がけっこうよかった。



大学を出て会社で働くようになってから、僕たちは「目的をもたない」集まりを失っている。みんなが忙しくなるので、とりあえず暇だし集まる、みたいな場が激減した。休みがあっても、限られた時間を100%活用しなければ!とか思ってしまう。
特にパンデミック以降、”不要不急”の予定で友達を招集することには、後ろめたさすら伴う。集まるときは、なにかしら理由を考えるクセがついている。

そういう点で、川沿いに集まって、ただ台湾茶を飲んでダラダラするという集まりは、なんだか新鮮に感じた。
別に自分の家でお茶を飲んでゆっくりしているだけでもいいんだけど、外に出るということ自体に意味がある。鴨川に集まっている人たちを見ているだけでも、なんか落ち着くのだ。

お弁当をひろげている高校生4人組、ブライダルフォトを撮りに来ているカップル、子連れの家族、サリーに身を包んで家族写真を撮る外国人グループ、ギターを練習している大学生。みんな平和な顔をしているのだった。なんかTwitterの見すぎでトゲトゲしい気持ちになっていたけど、そういう人たちを見ているだけで、なんか安心するような気がする。みんなやってるなあ、とぼんやり思うことは、精神衛生によい。



この落ち着く感じ、これがまさに伊藤洋志さんのいう「イドコロ」なのだろうと思う。

今年のはじめに読んで、なるほどと思った本だ。

本書では、威圧的な圧力がなく、思考が開放され、ときには鼓舞されるような場、「イドコロ」について考える。『イドコロをつくる』という題名なので、場所づくりの要素もあるが、すでにある場所、空間を見つけて使い方を身につけるというパターンもある。(「イドコロをつくる」序文より)


イドコロの定義を逆転させると「威圧的な圧力があり、思考が制限され、ときには意気消沈させられる」場が想定される。
なんか邪智暴虐の限りをつくした言葉のように思えるけど、いま僕たちが置かれている状況って、つまりそういう場ではないか。

すべてがevilでないとしても、確実にその地場は強くなっているように感じる。
たまには自然のノイズ(気温とか季節の虫がおるとか太陽光の強さとか)を感じたり、まわりの人の平和な顔を目撃したりして、意識的に心をチューニングしないといけないのだ(つらい世の中!)。

やっぱりわれわれ、自分でも気づかないレベルでじわじわぐったりきているよなあ。


乱世が長引いているので、やはり僕たちも正気を失いかけている。完全に失ってしまう前に、川でお茶でも飲もう。

また近いうちに鴨川でお茶を淹れたいと思いますので、見かけたら一杯飲んでいってください。バカにできないリフレッシュ感がある!

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昼間はまだ暑いので、アイス茶にした



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伊藤さんのブロック塀破壊イベントにもまた行きたい。