本書では、高度な秩序が行き届いて”清潔になった”街として東京が語られているが、この話題から僕が連想するのは大阪・天王寺の街だ。
現在は再開発により、あべのハルカスやキューズモールが象徴するような”キレイな”街並みが整備されている。が、天王寺エリアがあんなにピカピカになったのはつい最近のことである。
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今年の2月、はてなにこのブログを開設してみて、意識的に他の人のブログをチェックする習慣がついた。
”シロクマ先生”のブログも、そのときに読み始めたもののひとつだ。YouTuberの軽躁やイライラした人の居場所についてのエントリーには、僕なりに影響を受けた。
そんなシロクマ先生の新著が「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」。ブログで公開されてた第一章を読めば、これは今読むべきものだ、と直感するのに十分だった。
本書は、帯文にもあるようにメンタルヘルス・健康・少子化・清潔・空間設計・コミュニケーションを軸に、令和時代の「生きづらさ」を読み解く。
第一章「快適な社会の新たな不自由」では、秩序が行き届いた”美しい都市”において、その秩序から漏れてしまう人々の居場所のなさが指摘されている。
代表事例として挙げられているのは東京の街だが、僕が思い出すのは大阪・天王寺の街だ。
子供のころ(約20年前だ)、父母に手を引かれて行った天王寺動物園の周りには青空カラオケ*1の屋台が立ち並んでいた。そこから聞こえてくる法外な爆音には、子供ながらに迫力を感じ取っていたものだった。
カラオケ屋台以外にも、ガード下にはブルーシートで道路を占拠するホームレスのおじさんが何人もいた。そういう場所は母親の手をギュッと握りながら通った記憶がある。
この時点では、”そういう場所”に行けば、”そういう人”がいるのは当たり前のことだったのだ。梅田や心斎橋では異質に見られそうな彼らも、あの街の中では当然のように存在していた。
しかし高校生の頃、キューズモールがオープンしたあたり(2011年)にはすでに、天王寺は目に見えて綺麗になっていた。ハルカスができたり、「てんしば」が整備されたりして、かつてのカオスが嘘のような場所だ。
今でもたまに動物園や新世界に立ち寄るたび、あのブルーシートのおじさんたちのことをふと思い出す。
彼らはどこに行ってしまったのだろうか。本書で指摘されているように、福祉が行き届いた効果も大きいのだろう。でも、そればかりでないように思わずにいられない。
もちろん、ブルーシートのテントに暮らす人がたくさんいたり、カラオケ屋台が林立している街が無条件に良いとは思わない。ただ、”秩序ある空間”が広がったことによって、そこに居られなくなってしまった人たちがいることは確かだ。
そして、天王寺が再開発によってカオスを排除していった時期と、大阪でオリンピック誘致の運動*2が行われていた時期が重なるのは、偶然ではないだろう。
これと同じことが、より大規模に東京・そして日本中で起こっていると思いながら本書を読むと、やっぱりしんどいものがある。
大阪は幻のオリンピックのために漂白されてしまった。そして今度は東京のオリンピックも幻になりそうで、なにやら皮肉なものだ。
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シロクマ先生、本文中で資本主義の親玉としてGoogle・Facebookにリクルートを並べていたりと、さすが鋭いなと思わされる部分が多かった。
過去の著書も注文したので、引き続き拝読します。