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いますぐ書け、の文章法(堀井憲一郎)

 

いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)

いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)

 

  

2020年に入ってから気まぐれに書き始めたこのブログだが、コロナ禍のステイホームも相まって、今ではわりと生活の中心に近い部分を占めるようになった。

以前にも発作的にnoteやTumblrに叩きつけた文章があったが、それを除けば、まとまった文章をこれだけ書き続けるのは初めてのことである。

 

そうして書いているうちに気がついたが、僕は文章を書くことがけっこう好きだ。

自分の文章が上手か下手かの審査は読者に任せるとして、自分ではけっこう気に入ってしまっている。

書いていると、脳みそのメモリーが140字から2000字に拡張されたような気さえするのだ。

 

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いきなり自分語りから始めてしまって恥ずかしい。とにかく最近、文章を書くこと自体に興味が湧いているということが言いたかった。

それで、本書を手にとったのだ。

 

 

1ページ目から何度も繰り返されるのは、「ちゃんと書こうとするな」ということ。

美しく正しい日本語で書かれたどうでもいい内容のものよりも、少々乱暴でも、躍動して人を巻き込んでいく文章のほうが、雑誌には向いている。

たしかにそうだ。 

たとえば本書の文体は「だ・である」と「です・ます」が混在している。作文の授業で習ったかぎりでいうと、「美しく正しい日本語」ではないかもしれない。

しかし、丁寧に「〜です。」とか言ったかと思えば次の文でいきなり命令形が飛んでくるような文章には、緩急が生まれている。一冊を通じて、不思議なスピード感に支配されるのだ。

これが”躍動して人を巻き込んでいく文章”か!と目をひらいた。

 

また、一貫して書かれているのは「読者のことを第一に考えて書け」ということ。そこがプロとアマを分ける大きな違いだという。 

文章を書くことは、サービスである。

読む人のことを考え、ゆきとどいたサービスを届けないといけない。 

例にもれず、自分が思ったことを自由に書くのが良い、と思っていた。目が覚めるような思いだ。

 

さらに読んでいて頭が痛いのは、「時間軸の誘惑」と銘打たれた節。

なぜその国を訪れることになったのか、訪れる前におもっていたイメージとその準備から書かれている文章は、きわめて退屈である。 

あなたが、自分の旅のことを書こうとするとき「準備から描写して、起こった順」に書いていきたいとおもっていませんか。おもってますよね。(中略)でも、それは、「読者の都合をまったく無視した書き方」です。そこには読み手の視点がない。書き手の都合しかない。

 

読み手の立場からすれば、面白いところだけ(または、面白いところから)読ませろ、ということだ。苦労したことがあっても、その部分を文章にしたときに魅力がなければカットする。単純だが、なかなか難しい。

5月に書いたモンゴル武者修行ツアーの記録(全4回)なんかは、まさにこの典型だ。準備から始まって、起こったことだけをだらだらと羅列している。あまりに指摘された通りなので笑ってしまった。 

 

 

軽い気持ちで読んだが、めっちゃ参考になったし、なんだか喝をいれられたような気持ちだ。「生きている文章」という言葉にしびれた。

生きている状態で生きている文章を書け。いま書きなさい。 

 

 

とにかく、ちょっと文章書いてみよう、と思っている人は読んで損はない一冊だし、読み物としてもめっちゃおもしろい。文章法の指南の体裁になっているが、ライター・堀井氏のエッセイとしても楽しく読める。

 

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文章を書くことはけっこう楽しいことだ。みんなもっとブログとか書けばいいのに、と思っている。140字の激流から、一歩離れられる。

 

もしこのブログを読んでくれている友人がいれば、ぜひこの一冊を読みながらはてなブログを開設してください。いますぐに!