誰もが自分だけの体のルールをもっている。階段の下り方、痛みとのつきあい方……。「その人のその体らしさ」は、どのようにして育まれるのか。経験と記憶は私たちをどう変えていくのだろう。
視覚障害、吃音、麻痺や幻肢痛、認知症などをもつ人の11のエピソードを手がかりに、体にやどる重層的な時間と知恵について考察する、ユニークな身体論。(春秋社HPより)
(中略)小説は、ある人物にまつわる具体的な出来事を記述する営みです。
一方、本書が扱うのは、出来事としての記憶そのものではありません。特定の日付をもった出来事の記憶が、いかにして経験の蓄積のなかで熟し、日付のないローカル・ルールに変化していくか。
(プロローグより)
犬がエサをもらうタイミングによってお手やオスワリを覚えていくように、僕たち人間も「上手くいった」という成功体験を積み重ねて行動の方針を(無意識のうちに)決めている。
障害がある人はそこからさらに一歩進んで、意識的な工夫によって身体をコントロールしなければならない場合がある。
さながらマニュアル車を運転するように、目が見えなくてもメモをとったり、切断された脚に力を込めたり、吃音症を抑えるために一人称を統一したりしているのだ。
◯◯症の人は、みたいに一般化してしまうのではなく、個人の工夫や意識にスポットが当てられているところに惹きつけられる。