songdelay

踊る!ディスコ室町のギター

4月6日 地球屋閉店に寄せて


仕事中の夕方、社用車で自動洗車機に入ってゴゴゴと洗われながらTwitterを開くと、地球屋閉店のツイートが目に飛び込んできた。
めちゃくちゃに動揺しながら拭き上げコーナーに駐車してソースを確認すると、冒頭のポストがリツイートされている。ツリーには、「昨日初のゼロになって決めたみたい」とある。


わざわざこのブログを読むような人たちはみんな知っていると思うけど、一応説明しておくと、地球屋は京都の四条河原町にある居酒屋で、とにかく安くてメシがうまくて量も多くて、そしてちょっとアングラな雰囲気がある店だ。

軽音サークルの打ち上げで初めて入ったとき(磔磔での演奏会→地球屋での打ち上げ、今考えると異常な贅沢だ)、うおおおこれは大学生っぽい!京都っぽい!!と興奮したのを覚えている。憧れていた「京都の大学生」の一員になったような気分だった。
大学を卒業してからも、京都に残った連中と度々飲みにいったし、たまに京都に遊びに戻ってくる友達と飲みに行くのも地球屋だった。そして、行くたびに京都の大学生に戻ったような錯覚に陥って、鴨川で一本締めしようや!などと騒いでしまうのだった。




新型コロナウイルス(COVIDー19)の流行によって、自分が普段出入りしているライブハウスや飲食店が窮地に立たされていることは、よくわかっているつもりだった。が、やっぱり閉店の2文字を目にするとダメージが大きくて、ここ数年で一番悲しい気持ちになっている。最後に一杯飲みに行こうや、と友達を集めたかったが、いまの状況ではそうもいかず、ただただ悲しく、やるせない。
もう「京都の大学生」には戻れない、ということと、もうコロナが流行る前の世界には戻れない、という二つを同時に突きつけられたような気分だ。



うちで踊っている間に、好きな店はどんどん倒れていく。今後も世界が立ち直るような兆しは見えないし、行政がしっかりサポートしてくれるようなことも期待できず、ただただ体力のない個人店から順番に見殺しにされている。
なにかが根本的に間違っていて、自分もその間違いのどこかに乗っかっているみたいな罪悪感さえある。
とにかく、「もう戻れない」のショックは大きく、しばらくは最悪の気分で過ごすことになりそうだ。



エビスの大瓶、やたら濃いウーロンハイ、でっかい皿うどん、豆腐サラダ、ごぼうの唐揚げ、ムカデ人間のポスター、誰かの学友団員証。全部過去のものになってしまった。













(4月19日追記)
店の前まで閉店を確かめにいった。閉店のお知らせがカレンダーの裏なのが地球屋らしいし、そこに書き足す人がいるのも地球屋らしい。



(7月26日追記)
なんと、再開が決まったそうです。

本当にうれしい!
どのような形で再開されるのかわかりませんが、お店が開いたらすぐ行きたいです。